好奇

 

 

少し経ったあと、ルーシーは下に降りて男たちを起こした。ナタンが、部屋を出て階段を降りてくるジプシーに気づくと、彼は起き上がって、彼女に声を掛けた。
「奥様はどうなりましたか」
「病気は消え去りました。あとは時間が解決してくれます」
それを聞いたナタンは疑いの念を持った。
その間に、ルーシーがポールとチャーリーに、部屋の中で起こったことを話していた。
「その病気は何だったのですか」ナタンはジプシーに訊ねた。
「それはたいして重要なことではありません」彼女が答えた。
ナタンはさらに疑いの念を持った。
「どうして病気が消えたと言えるのですか」
ジプシーは答えた。
「私が人を治すのは頭を使うのではなく、心を使うの」
この言葉で、ナタンの疑いの念は一掃されてしまった。
「今日2回目のお礼を言いたいです。今度は羊飼いの奥様を治していただいたことに」
「あなたも私と同じように感謝されるに値しますね」と彼女は言った。
「私がしてきたことがですか?」ナタンが訊き返した。
「それと、水を持ってきてくれたでしょう」
ナタンは、水と自分が関わりを持っていることを彼女が見抜いているがわかった。
「それはどういうことでしょうか」ナタンが訊ねた。
ジプシーは驚いた様子でナタンを見た。
「まだわかってないの?」
「何をですか?」
「もしまだ知らないのなら、まだあなたにとってそれを知るべき時は来てないということね」
ナタンはその言葉が物足りなかったが、ジプシーがそれ以上話さないだろうとわかると、もうそれ以上訊こうとはしなかった。それでも、ムーア人の知性の話が気にかかった。
「ムーア人の知性の洞窟に住んでいると訊きましたが」
女性はナタンの腕をとって二、三歩歩いた。
「あなたには、その話は大事じゃないの」
「どうしてそうお考えなのですか」
「私がそうと言ったらそうなのよ」
ナタンはこの女が言わんとすることを理解しようとした。ナタンにとって本当に大事ではない話なのだろうか。ナタンの好奇心をくすぐろうとしただけなのだろうか。それとも反対に、彼女のインチキを見破られるのを恐れているのだろうか。
「そうやって、謎を謎のままにしておくのですか」
「現実自体が謎めいたものなの」
「それでは、あなたにとって確かなものは何か、教えてください」ナタンが言った。
「それでは謎が持つ力が弱くなってしまう」彼女が答えた。
ナタンはしばし考えた。ジプシーは何も言わずにそれを見ていた。ナタンは、彼女が発している静けさを察知して、彼女が自分の言っていることに自信を持っているのだと気づいた。
「わかりました。謎の存在を信じる限り、あなたにある種の力が備わっていると認めるということですね」
「言ったように、あなたにはこの話は大事じゃないの」
ナタンは、この女性はその力を、実際の彼女よりももっと大きな存在として見る人たちがいるから持ち合わせているということだろう、と結論づけた。実際はいざ知らず、ナタンは彼女の言うことを信頼した。ナタンは考えていることを言った。
「羊飼いが実際の僕よりも過大評価して、僕を盲目的に信頼しているのと同じですね」
ジプシーは微笑んだ。
「羊飼いは本当に間違っているの?」
ナタンが考えて沈黙した。ジプシーがこう付け加えた。
「時間が解決してくれることよ」
上の階のドアが開く音がした。みんな階段の方を向いた。ジェシカが出てきて、その隣には、羊飼いの奥様がいた。羊飼いはとても興奮して、妻のところに駆け寄ってハグをした。それからジェシカとハグをして、ルーシーとジプシーにも近づいて同じようにハグをした。そのあと彼は感激の涙を流しながら腕を挙げて、
「今日ここで起きた奇跡はグラナダ中に広まるだろう!」
「私が必要なときがあれば、遠慮なく私を訪ねてきてください」ジプシーが羊飼いに言った。それからナタンの方を向いてこう言った。
「もう行かなければ。あなたと知り合いになれて嬉しかった、ナタン」
ナタンは羊飼いの奥様が回復したことに戸惑っていた。ジプシーにこう訊ねた。
「どうして治ってしまったんですか」
「今日、奥様の運命に心を動かされたみんなが希望を持っていたからよ」彼女が答えた。
「それだけですか?」ナタンが訊いた。
「それともちろん、謎が持つ力もね」ジプシーは答えた。
彼女は微笑み、ナタンを抱き寄せた。
「いまのように好奇心をずっと持ち続けて。そうすれば、世界が望んでいるあなたの可能性にもっと敏感になれるの!」
ナタンがその言葉を理解してしまわないうちに、ジプシーは車に乗り込んでいた。ナタンは戸惑っていた。パコが彼に言った。
「彼女の言わんとすることは分からないが、いずれにせよ『知る女』と呼ばれることには意味がないことは理解することだ」
「色々とありがとう、パコ」
「こちらこそ、ナタン」
車が遠ざかっていくうちに、ナタンは自分に課された任務が完遂されたことを理解し、羊飼いに、友達と道中に戻ることにしますと伝えた。羊飼いは、もう一日ここにとどまってはどうか、と言った。
「もっと色々な人に会う必要があるのです」ナタンは言った。
「そうだな、君をもう少し引き留めるのはわがままだな」羊飼いが答えた。
若者たちは、羊飼いと奥様に別れを告げた。お土産として、籠いっぱいのワインと油、アーモンドとお菓子が贈られた。
チャーリーとジェシカはナタンの車に乗った。彼らは車の中でこの出来事のことを話した。少し経つと、彼らは沈黙した。ナタンはジプシーの最後の言葉にことを深く考えていた。いまのように好奇心をずっと持ち続けて。そうすれば、世界が望んでいるあなたの可能性にもっと敏感になれる。
彼らがグラナダに着いたときはもう遅い時間だった。車の駐車場を見つけると、中心街を歩いてみることにした。その途中アルバイシンの丘に着いた。マウレタニアの時代に起源を持つ地区だ。ナタンはその雰囲気が特に気に入った。ポールはどこかで食事をしようと言った。近くに小さなお店を見つけて、彼らはテラスの席に落ち着いた。近くのテーブルで、男が写真を見ていた。ナタンは写真にアルバイシンの地区に特徴的な家々が写っていることに気がつき、男に、自分もそれらの写真を見てもいいか訊ねた。男の名をアントニオと言った。ナタンは他の仲間を紹介した。アントニオはアルバイシンの丘がある地区を修復する責任者となっていた。彼はすでに住居を数軒、魅力的なホテルに改築していた。アントニオは、この若者たちが今夜キャンピングカーで泊まろうとしていることを知ると、それらホテルのどこかで泊まらせてあげるよと、と言って彼らを招待した。夕食が終わると、アントニオは部屋を見せ、素晴らしい装飾のほどこされた部屋で彼らは一夜を明かした。
翌日の正午、二台の車はタリファに到着し、細い道を進んだ。石灰の塗ってある家々と、感じの良い雰囲気が、ナタンにモハカルの村を思い出させた。チャーリーとジェシカが、私たちの住む場所につづく道はこれだと、興奮気味にナタンに言った。コミュニティの人々は、大きな庭を囲んで建てられている家に住んでいた。その中から何人かが、彼らに会いに来た。若いカップルがナタンに仲間を紹介し、心からの歓迎の気持ちを伝えた。いくつもの言葉を操るナタンは、ほとんどの人々と彼らの母国語で会話した。短い挨拶のあとで、マイテという感じの良さそうな若い女性が、ナタンを彼女の部屋に案内した。二人はスペイン語で話した。
「私たちとここで長く一緒に過ごすつもりでいるの?」マイテが訊ねた。
「ここでしばらく過ごすんだろうなという印象はあるよ」ナタンは微笑みながら答えた。
「私たちと一緒にここで暮らす動機が何であれ、ぜひあなたができる限り楽しく過ごせるようにしたいと思う」
カルタゴを出るときに新しい友達に出会ったときのように、ナタンは人の心からの親切さをここでも感じていた。
「いつからここで暮らしているの?」ナタンは若い女性に訊いた。
「バルセロナからここに来て数カ月よ」彼女はそう答えた。
「バルセロナにはよく帰ってるの?」
「今はここが私の家よ」
ナタンは彼女にとって微妙な話題だと感じて、こう言った。
「自分が受け入れられる土地は故郷だと感じるものさ」
マイテは笑った。
「あなたはずっと前から旅をしてるそうね。それは私の夢よ」
「きみの夢なら、もうきみは旅をしているんだよ」ナタンはそう答えた。
マイテはまた笑った。
「パブロはいつここに来るの」ナタンは訊ねた。
「パブロを知ってるの?」マイテは驚いた。
「まだ会ったことはないんだ」ナタンが答えた。
「彼は数日オランダに行ってるの」マイテが言った。
それからの数日、ナタンはコミュニティのほとんどの人々と話をして、彼らをひとつにしているものは何かを見出そうとした。彼らの殆どは人生に絶望し、より良い世界について同じ理想を共有していた。その話にとても漠然とした考えを持つ人々がいる一方、かなり具体的な考えを持つ人々もいた。ナタンは特に、彼らがパブロに対して絶大なる信頼を置いていることに強い印象を持った。ナタンが彼に関する話を聞けば聞くほど、その人となりに興味を抱いた。ナタンは彼に早く会いたいと思った。